1,000万円が3カ月で消えた日を乗り越えて上場の道へ BCC株式会社
- 大洞 静枝
- 3 時間前
- 読了時間: 10分

2002年3月に創業したBCC株式会社は、IT営業アウトソーシング事業とヘルスケアビジネス事業を展開している。IT営業アウトソーシング事業では、IT未経験者を育成し、大手IT企業へ営業人材として派遣することで、企業の営業活動を支援。ヘルスケアビジネス事業では、「レクリエーション介護士」という民間資格を通じて、介護現場で活躍するレクリエーション人材を育成している。さらに、レクリエーション介護士による介護レク代行サービスや、介護現場のDX支援も行っている。
IT業界における営業人材の育成と、介護施設におけるレクリエーションの充実という二つの軸で、働く現場や介護の現場が抱える課題の解決に取り組むBCC株式会社。代表取締役社長CEOであり、生態会の監事も務める伊藤一彦氏に、上場までの道のりについて話を伺った。
取材レポート 西山裕子(事務局)、大洞静枝(事務局/ライター)
BCC株式会社 代表取締役社長 CEO/生態会 監事 伊藤 一彦(いとう かずひこ)氏
1974年大阪生まれ。大阪市立大学(現大阪公立大学)理学部卒。中小企業診断士。
日本電気株式会社(NEC)でIT営業の経験を経て、スタートアップ企業に転職。2002年 営業創造株式会社(BCC株式会社の前身)を設立。2012年 スマイル・プラス株式会社をグループに迎え、2021年7月に東証マザーズ(現東証グロース)に上場を果たす。現在、IT営業アウトソーシングとヘルスケアビジネスの2事業を柱に据え、ビジネスを展開する。著書に『起業の道標: 上場までのストーリー』がある。
27歳のベンチャー経営者に憧れて起業の道へ
生態会 事務局長 西山(以下、西山):本日はどうもありがとうございます。まずは、2025
年の10月から生態会の監事に就任されましたが、どのような思いで参画されたのか教えてください。
BCC株式会社 代表取締役社長 CEO 伊藤一彦氏(以下、伊藤氏):独立した際に、経営を学ぼうと28歳で中小企業診断士の資格を取得しました。経営には、財務や法務、組織論など一定の法則があります。それらを理解したうえで、経営を体系的に後進のスタートアップに伝えていきたいと考えています。

行政も多くのスタートアップ支援を行っていますが、国の方針に沿う必要があるため、年度ごとに方向性が変わりやすい側面があります。その点、NPOという特性を持つ生態会は、思いを共有する人たちが集まり、「関西のスタートアップを支援したい」という純粋な気持ちで活動しているところが、とても良いと感じています。
西山:生態会での今後のご活躍も大いに期待しております!それではあらためて、起業に至るまでの経緯についてお聞かせください。
伊藤氏:実は、私はもともと教師を目指していたんです。大学生の時に、とあるベンチャー企業のお手伝いをする機会があり、そこで27歳の経営者と出会いました。20代の社長はロレックスをつけ、いい車に乗っていて、今まで食べたこともないような柔らかいお肉も食べさせてもらいました。当時20歳だった私は、「こっちがいいわ」と思ってしまったんです(笑)そこから、経営の道を志すようになりました。
西山:なんと、おもしろい動機ですね。大学卒業後、すぐに起業されたのですか?

伊藤氏:大学卒業後はNECに入社し、IT営業に従事しました。その後、ベンチャー企業に転職し、より現場に近い形でビジネスを学びました。そして27歳で独立しました。当時、ソニーが法人向けインターネットサービスの販売代理店を関西で探しているという話を聞き、「やるなら自分が」と手を挙げました。
当時は最低資本金制度があり、株式会社を作るには、1,000万円が必要でした。両親や友人に頭を下げて資金を集め、2002年3月に会社を設立しました。大阪の天神橋筋六丁目付近に事務所を借りて、パートやアルバイトで従業員を募集しました。当時のメンバーは今では管理部門の中心になっています。かれこれ24年間、一緒に働いてくれています。
毎晩、借金に追われる夢で目が覚める日々
生態会 事務局 大洞 (以下、大洞):経営は順調でしたか?
伊藤氏:創業直後は、本当に厳しかったです。正直に言えば、1,000万円あれば事業は何とかなると思っていました。ところが、オフィスを借り、机やパソコンをそろえ、人を採用した瞬間に、資金は想像以上のスピードで減っていきました。
4月、5月、6月と時間が過ぎ、6月末にはあったはずの1,000万円がなくなっていました。次の支払いができなければ倒産するという現実を初めて突きつけられました。お金がなくなって初めて、経営に関しての怖さを感じましたね。とにかく生き残らないとダメだと思い、インターネットで「創業」や「融資」と検索し、必死の思いでたどり着いたのが、日本政策金融公庫でした。
東梅田にある日本政策金融公庫に飛び込んで、立ったまま焦って喋り出した私に、担当の方が創業支援融資という制度があることを教えてくれました。しかし、融資を受けるには、条件がありました。第三者の連帯保証人です。頭には父親が思い浮かびました。でも、父親は商売人で、そもそも私が起業することに反対だったんです。さらに、我が家の家訓はよりによって、「保証人にだけはなるな」でした。戸惑っていたら、日本政策金融庫の担当者が「一緒に説得しましょう」と言ってくれたんです。担当者の方が同席し、制度の説明や事業への理解を丁寧に伝えてくださったことで、最終的に父親は保証人になってくれて、1,000万円を借りることができました。
大洞:倒産の危機を乗り越えられたのですね。
伊藤氏:問題はここからでした。借りることができた1,000万円もすぐになくなると思ったので、9月末にも大阪府と大阪市の保証協会から500万円ずつ借りました。2002年12月末時点で、会社と個人の全資産を合わせても残高は約12万円3600円。一方で借金は約3,000万円。この金額は、絶望するにはリアルすぎる数字でした。毎晩、借金に追われる夢で目が覚め、電車のホームの先頭に立つことすら怖くなりました。もう終わりにしてしまおうかと考えたことは何度もあります。
西山:なぜ、乗り越えることができたのでしょうか?
伊藤氏:踏みとどまれたのは、創業期に参加してくれたメンバーの存在です。見ず知らずの私が作った会社に集まってくれた10名ほどの仲間が、目の前で一生懸命頑張ってくれているんですね。私が諦めた瞬間にこの会社もなくなるし、従業員たちの努力も水の泡だと思ったら、頑張るしかありませんでした。創業の1年間は、とにかく従業員の給料を払うためだけにお金を借り続けた1年間でした。泣きながら梅田から天六まで歩いて帰った日もありましたね。

資本政策と権限委譲で上場を目指せる企業へと成長
大洞:大変な苦労をされたのですね。ここからどのようにして上場を目指せる企業に成長していったのでしょうか?
伊藤氏:経営が少しずつ安定し始めたのは、2004〜2005年頃です。黒字化し、資金繰りができるようになりました。転機は、2005年に出場した大阪産業創造館のビジネスプランコンテストです。優勝したことで、ベンチャーキャピタルの前でピッチをする機会を得ました。そこから、多くの投資家と出会いました。銀行から借りる100万円、200万円でギリギリ生きていた経営者にとっては、ベンチャーキャピタルからの1億円、2億円という投資額には現実味がありませんでした。また、返済不要と言われることに、恐怖を感じたほどです。当時は映画『ハゲタカ』の影響もあり、乗っ取られるというイメージの方が強かったですね。
この時に、資本政策の重要性を理解しました。結果、2005年と2007年に合計約1億4,000万円の出資を受けましたが、自身の持株比率は過半数以上を維持しました。私は1,800万円を出資して株式の66%を保有し、ベンチャーキャピタルは1億4,000万円を出資しても保有比率は33%にとどめました。外部からの出資を受けることで、資金が増えるだけでなく、信用力や人脈も拡大し、人材を集めやすくなります。この資本政策を取ったことで、経営の主導権を保持したまま、会社を成長させるという選択をすることができました。
西山:人材採用の面ではどうでしたか?

伊藤氏:この時期にCxO人材を2名採用しました。現在の専務の安原さんとは人材紹介会社経由で出会いました。安原さんは偶然にも新卒入社の会社がNECという共通点がありました。当時、高収入のキャリアを築いていた安原さんに、私は正直に「年収は下がります」とお伝えし、同時に「1,000万円を預けるので、何か事業やってみてください。お任せします」とくどき、仲間になってもらいました。
また、副社長の岡林さんは、かつてベンチャー企業で一緒に働いていた同僚です。「いつか上場できる会社を作るから、その時は来てほしい」と伝え続け、実際に実現しました。私の持論ですが、組織を作っていく上で、権限委譲は早く進めた方がいいです。人に関しては、安原専務に任せていますし、お金に関しては岡林副社長に預けています。経営体制が整ってからは、組織の成長スピードが一気に加速しました。従業員数は短期間で50名を超え、事業は大阪から東京、名古屋へと広がり、自然と上場を目指す空気が社内に生まれていきました。
「カッコつけず、品良く」そして貪欲に
大洞:そこからどのように上場に至ったのでしょうか?
伊藤氏:2016年から約5年間準備を続け、2021年7月に上場しました。途中にはリーマン・ショック、震災、コロナ禍と、何度も逆風がありました。
リーマン・ショック時には、1億円以上の資本金がありましたが、あっという間に大赤字になって債務超過になりました。全従業員50名に10%の給与カットをお願いしました。私は従業員に、「うちの会社はベンチャー企業だけど、生活に必要な給料は変動させません。その分少しずつ上げます」と約束をしていたんです。ですが債務超過になり、払えるお金がなくなったため、頭を下げました。しかし従業員は私を責めるのではなく、「10%ぐらい給料下がってもなんとかなりますから、一緒に頑張りましょう」と励ましてくれました。本当に、涙が止まりませんでした。この時期を一緒に乗り越えてくれたメンバーが、上場準備の中心メンバーになってくれました。
その後、株の買い戻しや震災も乗り越えて、2012年にはスマイル・プラスという会社をM&Aし、さらにホールディングス化しました。2016年に再び投資を受けて、グループを統合。資本金2億5600万円で、従業員100名の体制になり、ここから上場の準備を本格的に始めました。一度は主幹事証券会社を変更し、審査中に新型コロナウイルスという壁も乗り越え、どうにかこうにか上場ができました。
西山:上場するまでに多くの障壁を乗り越えられたのですね。最後に、上場を目指している起業家のみなさんにメッセージをお願いします。

伊藤氏:これから経営に挑戦する方に伝えたいことは、特別なノウハウではありません。「目標は紙に書いて口に出す」、「あきらめない」この2つです。そして先輩経営者から教えていただいて、私が大切にしている言葉は、「カッコつけず、品良く」です。カッコつけて判断をしてうまくいったことは一つもありません。また、品が良くないと、人は集まってくれません。これからも、経営者としてカッコつけず、貧欲に生きていけたらと思っています。
西山、大洞:本日は、貴重なお話をありがとうございました!
伊藤一彦氏の著書「起業の道標: 上場までのストーリー」

関西スタートアップのすべてを一冊で網羅
関西スタートアップレポートは、2020年1月より年に4回発刊されている生態会独自のレポートです。
日々の地道な取材から得た、関西の起業エコシステムに関する最新情報を、生態会の目線でお届けします。定量データと定性調査の結果をもとに、関西スタートアップの現状と全体像を多角的に捉えた充実した内容となっています。
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