奈良県初のメディカル物流会社。超低温での保管や輸送も可能に:五條メディカル
- 敦志 中野
- 2 時間前
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関西スタートアップレポートで紹介している注目の起業家たち。今回は、メディカル関連製品に特化した物流会社を運営する 五條メディカル株式会社 の創業者、原田杏子さんにお話しをお伺いしました。
取材・レポート:西山裕子(生態会事務局)、中野敦志(ライター)

原田杏子氏(はらだきょうこ)氏 略歴
奈良出身。株式会社リクルートでは人の3倍働き、倍稼ぐ精神を学び、その後数社を経て、事業会社にて広報PRの仕事に従事。2018年に実父の物流会社に入社後、2020年に超低温技術による医薬品を専門に扱う保管・輸送業者として、五條メディカル株式会社を設立。現在に至る。
奈良県初のメディカル物流会社として、専門性を徹底的に追及する
生態会事務局 西山(以下、西山):今日はよろしくお願いします。五條メディカル株式会社の事業について教えいただけますか。
五條メディカル株式会社 原田氏(以下、原田氏):はい、当社は、再生医療や生殖医療における保管・輸送、そして倉庫内での加工業務を行う企業です。
常に品質を保ちながら、お客様の元へ製品をお預かりし、運ぶことを使命としています。医薬品、医療機器、化粧品、再生医療等製品の保管・輸送に特化した、奈良県初のライフサイエンス専門物流企業です。
品質やトレーサビリティを担保するため、輸送中の温度管理の徹底、倉庫内のセキュリティ確保、非常時にも安定して電源を供給できるBCP対策、医薬品流通にかかわる適正基準(GDP、GMP、QMS等のガイドライン)への対応などを行っています。
また、常に品質を検証評価するため、社員の約半数以上が薬剤師や関連する有資格者という体制です。

広報PRというキャリアからの転身。未知の分野で、気づいたことを具現化する
西山:なるほど。原田さんご自身も、物流畑を歩いてこられたのですか?
原田氏:いえ、私は事業会社で広報PRを主として行ってまいりました。そもそも私自身の社会人としてのキャリアは、リクルートという会社からスタートしました。物流業界の経験は、皆無です。
西山:では、なぜこの世界に入られたのですか?
原田氏:2018年に、父の経営する運送会社に入社することになったのです。
まず自分にできることをやろうと思い、物流に関する資格の勉強や、倉庫に入って実務をしていく中で、徐々に物流会社としての理解を深めていきました。
どんなに質の良いサービスを提供しても、お客様が次を決める基準がコストになる。なぜならそれは、サービスや品質にそこまでの違いがないからだと気づきました。
しかし、奈良には医薬品関係の会社が多く、複雑な品質管理を伴う製品が開発された時には誰が運ぶのか?の問いから、高い品質に特化した部門として立ち上げ、父の会社の事業として、どうしたらやれるのかを1年以上かけて考えました。
品質や安全を追求する際に必要となるのは、全員が一定確率以上の理解や、大切なことを大切と思える心であったり。その根底には「文化」が必要。父の運送会社に新しい文化を築くよりも、ゼロからの新しい命を誕生させた方が、浸透が早いと考えました。
サラリーマンをしていたころから、実は経営者マインドだったことに気づく
西山:それで、一から作る方がいいと思って起業されたのですか。
原田氏:いえ、私は経営者としての父をずっと見ていて、経営は厳しい世界だと身に染みて知っておりました。だから経営者という選択肢は選びたくなかった。自分は子供2人を育てている中で、子供と同じように守るべきものを持つということは、本当に覚悟のいることですから。
しかし、誰かが会社を守らなければいけない、それが自分の役目だったら、それは受け入れようと自然に思えてました。実は私は、サラリーマンをしながらも、ずっと経営者マインドだったんだということに改めて気づきました。
辛い局面を迎えたとき、何のためにこの会社に入ったかを思い出すようにしていました。つまり、理念に立ち戻って考えました。
全力で向き合い、すべての仕事に対して天職だと感じていました。自分は単純なのではないか?、違う、そうか、私は常に経営者マインドだったからすべてが楽しかったんだ、全てを意味ある事象として受け止められたのだ、と気づいたんです。
企業理念「大切な誰かを守るため」はノートから生まれた
原田氏:でも今回は自分の会社を創るので、父の会社の後継ぎとは少し違っていました。
後継ぎなら、父に請われてやったからだ、と例えば言い逃れができたとしても、自分で事業を興すとなると、ドロップアウトはできません。ある意味、その人生を捧げる想いで取り組む。大切な従業員を守るために。それが従業員に対する責任だと思いました。
そのために、毎日ノートに自分の思いや考えを書き込みました。人の脳の構造、行動に移す力、モチベーションの持ち方、どういう人たちと事業を興していけばいいのかなど、何のために?誰のために?どうして私が?、そんなことをたくさん自問自答し、書き出し、先ずは何より自分自身を納得させる理由が必要でした。
その結果、腹に落ちたのが、「大切な誰かを守るために」という理念でした。この言葉ができたので、起業する覚悟が持てました。

生態会ライター 中野:共通理解を浸透させていく過程で、社内で工夫されていることはありますか?
原田氏:対話型組織というものを大切にしています。企業文化として「隣の人を輝かせる」というのがありまして、誰かひとりのスター選手を作るのではなく、隣に座っている人を誰かが輝かせることで、まわりまわって自分が輝き、そして全員が輝くというのをすすめています。
それに、何か気になる事があればすぐに1on1をする。勝手に決めつけるのではなく、ちゃんと聴くということを大切にしています。
他には勉強会も社内でかなり多くやっています。品質、物流技術、ハラスメント、IPO勉強会、財務会計など、全員に受けてもらっています。
また、会社の中で体力測定も行っています。健康診断だけではわからない、体力からの健康度も各々が理解することで、未病対策に繋がるようにと考えました。
未経験分野での起業に、次々と襲い掛かる試練
西山氏:それで3年連続で健康経営法人(ブライト500)に選出されているのですね。起業されてから、これまでに、苦労されたことはなんですか?
原田氏:事業のスタートから波乱でした。当初は父の会社の副社長をやりながら、自分の事業として五條メディカルをやっていこうと考えていました。会社の近くにいないといけないので、父に頼み込んで、事務所棟の空いているフロアーを家賃を支払い貸してもらいました。これにより医療卸の免許をとるための最低面積は確保し、スタートすることができました。
会社を創立したのが2020年11月で、翌2021年4月に新型コロナウイルスのワクチン輸送がスタートしました。
私たちが行っている再生医療事業スキームが、たまたま新型コロナウイルスのワクチンの輸送保管に合致していたため、引き受けることにしました。自治体を回り私たちにできることの説明をして、受託後は、従業員全員で、必死でその任に当たりました。

西山:それは大変な責務だったと、推察いたします。
原田氏:とても忙しくしていた日々の中で、取引先の方が、経済産業省の「サプライヤーチェーン対策のための国内投資促進事業費補助金」というものがあるよ、御社も該当するんじゃない?と教えてくださいました。なんと最大1社100億円まで出るものだったのです。内容を確認すると、当社にも合致しているのでは、と思えました。
ところが、申請の受付締め切りまで1カ月しかない。おまけに近畿経済産業局の相談窓口は、翌日が締め切りだったためにすぐに電話して、「明日行きます」といって最終日に滑り込みました。窓口で申請書の書き方のポイントや、我々は対象となるのか?を教えてもらい、自分で書きあげました。
西山:すごいパワーですね。でも、補助金は出費後に後から支払われるお金ですよね。
原田氏:その通りです。申請した事業で必要な費用は5億円くらいで、先に支払う必要があります。が、そんなお金はあるわけもなく。そもそも当社の資本金は、自分の貯蓄を全額取り崩した800万円だけでした。事業資金は、銀行融資をしてもらわなくてはならない。その日から奈良県内の金融機関に出向き事業内容を説明し、融資のお願いに回りました。
すべての準備が整った後、事務所で夜遅くまで仕事をしていたら、近畿経済産業省からメールで採択の知らせが届きました。それはもう、めちゃくちゃ嬉しかったです。
しかしその後、抑えていた物件が手違いで他社に売却されてしまった。物件がないと採択されても補助金はおりない。その日から、毎日、会社の行き帰りや運転中は、「このビル売ってくれないかな」と物件探しが始まりました。不動産業者からは「そんなの見つからないですよ」と言われ、父からは「もう諦めろ」と言われました。心の中では「忙しい時間を削って作り上げ、採択された補助金をあきらめられるわけがない」と思いながら、「そうだね」と笑顔で答えていました。出会っても瑕疵があったり、妥協も考えましたが、ギリギリまで諦めずに探していた残り半月の時に、いまの場所に出会ったんです。
西山:顔では、平静を装っていたのですね。

原田氏:はい。残り半月のギリギリに紹介いただいた不動産会社より最初は「無い」でしたが、翌日不動産業者から連絡があり、橿原に物件があるとのこと。元々橿原という土地は、選択肢になかったのですが、物件を見に行ったら国道と幹線道路の交わる絶好の場所でしたので、即決しました。
この経験は、私にとって大きな財産となりました。物件も金融機関もギリギリのところで決まりましたが、必死で動いたために多くの方に我々企業の理念や事業スキームを理解いただきました。それらは、その後のご支援に繋がっています。
運で手繰り寄せた、独自のビジネスモデル
西山:まさにピンチはチャンスですね。
原田氏:本当に私は、運がいいんです。人の採用もそうです。この事業をやろうと思った時に、私自身が医療にはまったく知識がなかったので、薬の専門家である薬剤師さんをたくさん採用しようと決めました。
西山:どのように募集されたのですか?
原田氏:人材募集の媒体会社に、採用広告を出そうと相談したんですが、言われたのは「100万円出しても、奈良では集める自信がない」でした。だったらということで、自分でハローワークで募集をかけました。
そうしたら、新型コロナウイルスで薬剤師さんの働き方が変わってこともあり、全国から30名以上の応募がありました。
西山:またピンチから、チャンスが生まれましたね!
原田氏:ひとりでも応募が来たらラッキーと思っていたので、嬉しい悲鳴でした。
発足当時は、私以外は全員薬剤師という体制でした。5名の多彩な薬剤師によって、様々な経験や視点でのハザード攻略が構築できました。
BtoBの分野からBtoCへの足掛かりにも
西山:新型コロナウイルスワクチンの物流に関わることで、実績にも大きくつながったのですね。
原田氏:その通りです。現在は、新型コロナウイルスのワクチン輸送の事業はありません。ですがそれまでの経験をもとに、本来やろうとしていた再生医療に全力を傾けています。
西山:御社の事業における特徴を教えてください。
原田氏:我々はまだ小規模な企業ですが、お客様のニーズに合わせた、オーダーメイド物流というものを謳わさせていただいております。

保管・輸送という点では、温度管理がニーズに合わせた適温での配送が可能です。液体窒素を沁み込ませたドライシッパーで、冷凍状態のままお届けできますし、冷蔵庫で解凍してご希望の温度での配送も可能です。
倉庫内での加工も、ニーズに応じて可能です。いま取り組まさせていただいているものとして、自分の血液からiPS細胞を作る「マイiPS細胞の製造」などは機材や、医療行為に膨大な金額がかかるのですが、そのキットの組み立てや物流面のサポートを分業ではなく一貫して行うことで、総コスト少しでも抑え、「身近な医療」=「生きる医療」となるよう努めています。
西山:今後の展望を教えてください。
原田氏:これからは、生殖医療にも力を入れていきたいと思っています。精子や卵子の保管に関しては非常に繊細で、温度管理がシビアです。頻繁に持ちだしたり、移動したりすると常温にさらされてしまい品質が劣化します。
現在でも不妊治療されている方が、転勤して住まわれているところが変わると、採卵された病院と頻繁に場所を移動するか、近くの病院まで卵子を取り寄せるしかありません。間に我々のような専門業者が入ることで、採卵場所と保管場所を切り分けて運用できるというメリットがあります。今後はそのようなBtoCにも力を入れていきたいと思います。

西山:素晴らしいですね。本日はありがとうございました。
取材を終えて
自分は運がいいと言える人は、自身の志に集中して行動されたからだと思います。原田さんのお話を聞いていて、吉田松陰の言葉「諸君狂いたまえ」を想起しました。まっすぐに自分の使命を貫かれるその言葉とお姿に、古き良き日本人の心に触れた気がしたのです。私自身も奈良出身なので、原田さんのような方が、奈良から出てこられたことがとても嬉しいです。奈良県初の総理大臣も輩出しましたし、奈良からムーブメントを興したいです。
(ライター 中野敦志 )




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