
関西スタートアップレポートで紹介している注目の起業家たち。今回は、産後のご家族のための長期滞在サービスを提供しているYaala株式会社の井上裕子代表取締役にお話を伺いました。同社は関西電力㈱の「かんでん起業チャレンジ制度」という社内起業制度から生まれたスタートアップで、その点も詳しく聞きました。
取材・レポート:西山 裕子(生態会事務局長)
八木 曜子(ライター)
代表取締役 井上 裕子(いのうえ ひろこ)氏 略歴
1981年広島福山市出身。新卒 で関西電力株式会社に入社後、火力事業本部で勤務。現場オペレーション、メンテナンス、事業計画、法令対応、事業本部等を経験。2度の育休後復職。復職後2年目に社内のかんでん起業チャレンジ制度に応募。2021年Yaala㈱設立。小5娘 ・小2息子・夫会社員(技術職)。
出産育児の大変さを感じて社内起業制度に応募
生態会 西山(以下、西山):本日はお時間をいただき、ありがとうございます。まずはご経歴とYaalaの設立経緯を教えてください。
井上代表取締役社長(以下、井上):はい。私は工学部機械系出身で、関西電力に入社し、技術職として火力事業で働いていました。10年以上火力事業に従事しており、起業とは無縁の世界でした。しかし、社内に「かんでん起業チャレンジ制度」というものがあり、自分のアイデアを応募して合格すると起業できるので、こちらに応募し、2021年にYaalaを設立しました。
私は広島県福山市出身で、大学進学以降は大阪に住んでいます。子供が2人いますが、一人目の出産時に母親に来てもらう予定が祖父の急病で叶わず、里帰りできなかったため、子育ての大変さを痛感しました。一般的な出産にも関わらず、サポートがないと危うい状況で子育てをしなければならないと強く感じました。育休はそれぞれ1年、1年半取り、復職後は共働きの大変さも経験しました。
夫もかなり育児に協力的でしたが、それでも負担は大きかったです。復職後は再び火力事業本部に戻り、事業計画、法令対応など多岐にわたる職務を担当しました。復帰二年目ごろに起業アイデアチャレンジの募集があり、その頃は新規事業を検討している部署にいたので、肩慣らしのつもりで応募しました。

子育てのゆとりをつくるサポートが目的
最初は自分が大変だったことが課題でしたが、今は男性も女性もみんな子育てが大変だという点に注目しており、ターゲットは男女を問わず親全体です。
産後のメンタル不調のリスクを見ると、男性も女性も変わらず、むしろ男性の方が高いというデータもあります。子育てがしにくいと感じている人も7割ほどいるので、この状況を改善したいと思いました。
子育てにゆとりがないことが最大の問題だと感じています。全てを完璧にしようとすることで、自分のケアやリラックスが後回しになりがちです。子供のことを優先し、求められる親の役割を全て果たそうとするからです。この問題を解消するために家から離れて旅行に行き、いろんな人と触れ合って価値観を変える体験をしてもらうサービスを創りました。

まず一度家から離れてリセットし、次に助産師や専門家と相談してもらいます。そして、パートナーと話す場を作り、自分自身も楽しんでもらいます。この三つを大きな軸にして、
産後ケアと旅行を組み合わせたサービスを提供してています。産後ケア事業は、体を休めるだけでなく、家族が育児をできるようにサポートする目的が含まれています。非日常の場所で日常を過ごしながら、産後の家族力を育んでもらうことが目的です。緩めて、自分自身のケアをし、街の人と馴染むことを体感してもらう旅行を提供しています。

街の人が赤ちゃんや子連れに対してウェルカムだと感じてもらうために、拠点間連携先を設けて、そこの人と交流してもらいます。
コインの使用にもこだわり、金券にすることで外に出るきっかけを作り、お店の人と会話をしやすくしています。提携先にも負担のない範囲でお声掛けをお願いし、コミュニケーションが生まれやすい仕掛けを作っています。

現在の拠点は兵庫県神戸市の塩屋にあるシェアハウスと、広島県尾道市の向島にあるゲストハウスの2つです。海の目の前に広がる芝生やテラスからの景色が魅力的です。それぞれ予約が入ったときに利用する形式で運営しています。シェアハウスは1拠点目で、賃貸として借りていて、それを転貸する形で提供しています。今後もこの仲介形式で数を増やしていく予定です。都心や山間部の別のゲストハウスとも話を進めています。

西山:提携先は、どうやって見つけているのですか?
井上:基本的には紹介やネットなどを調べて見つけています。絶対条件として、お子さん連れにウェルカムであり、サービスへの共感が高いことが必要です。こちらから探して話をすることもありますし、紹介を受けることもあります。
西山:料金体系と、お客様のニーズを教えて下さい。
井上:ゲストハウスは6泊7日で15万円程度、シェアハウスは1ヶ月からの賃貸形式です。消耗品やアクティビティを、ポイント制で選べるプランにしています。お客様は、共働きの方が8割を占めています。これまで累計で、17組のお客様が利用されました。7割が男性からの申込です。企業の人事部を通じて周知されることが多く、奥さんが育休中の男性からの申し込みが増えました。多くの男性が積極的に育児に関わっていて、長期間の滞在を希望する傾向があります。満足度も非常に高いです。

西山:7割が男性からのお申込とは、意外です。食事はついてるのですか?
井上:いいえ、ご自身で作ってもらう形です。宿泊費30万円にはアクティビティ6回分と消耗品(オムツ、ミルク、ボディソープなど)が含まれています。素泊まり形式で、キッチンと洗濯機が使えます。長期間の滞在なので、実際に自分でやってみる体験を重視しています。

最初はホテルと提携して食事も3食提供する構想でした。が、産後ケアとの差別化を含めて本当にやりたいことは何かと考えたとき、非日常の場所で日常を営むことが大事だと気づき、家事は自分で行う形にチェンジしました。現在は助産師と一緒にその後の育児の構築に注力しています。
西山:マーケティングは、どのようにされているのでしょう?参入障壁が低そうだとも感じましたが。
井上:最初はシェアハウスの特徴を強調していましたが、ターゲットが限られすぎるため、シェアハウス利用が初めての方でも大丈夫だと伝えるようにしています。滞在目安は1ヶ月の期間ですが、より短いプランも準備しています。また、助産師とのネットワークも利用しています。これらが一般的な施設との差別化につながると考えています。ただ競合がすぐに参入してくる可能性があるので、次のステップも考えています。
また、関電のバックアップがある一方、規模の拡大も前提にあります。基本的には5年が一つの区切りで、3年後にスケール化や黒字化を目指しています。5年目で一旦判断されるので、そこで続けるかどうかが決まります。
八木:在職しながらの新規事業は可能性を感じますが、そうやって選別されるわけですね。
井上:はい。特に会社からの融資を受けているので、5年目までにスケールが見込めない場合は終了となります。他の資金調達に比べるとハードルは高くないのではないかと思いますが、お金を出してもらったからには返済が必要です。
社内起業チャレンジ制度のおかげで、起業が可能に
八木:改めて「かんでん起業チャレンジ」について詳しく教えてください。
井上:はい。関電社内で開催されている新規事業制度で、20年ほど続いており、関西電力のグループ会社になった日本気象工学など、10社ほどが起業しています。部署との親和性に関係なく、誰でも応募できる制度です。
GOB Incubation Partners株式会社(以下GOB)という会社が運営するアクセラレーションプログラムを受けながら、マーケティングや市場分析なども学びました。それがなければ、起業は難しかったと思います。また、GOBのコンサルタントの方がメンタリングや事業計画をサポートし現在出資もしてくださっています。
西山:そういったプログラムは、勤務時間中に受けるのですか?
井上:途中までは自己啓発として勤務時間外でやっていましたが、一定期間からは部署を異動し、業務として行いました。最初の研修は半年ほど、1ヶ月に2〜3回の頻度で受け、その後プレゼン資料を作り、最終的に企業チャレンジ制度に応募して社内の審査を受けました。審査に通ると予算がつき、業務として進め、社内で起業するか最終審査を受け、通って起業した形です。
予算がついたのは私の時は2プロジェクトで、その中から1プロジェクトが起業しました。
八木:起業が身近ではなかったとおっしゃっていましたが、こういったチャレンジ制度があったことも影響があるのでしょうか?
井上:実は起業というのは考えたことがなく、社内で「誰々が起業しました」と聞いても、興味はありませんでした。ただ、子育ての大変さに衝撃を受け、ここを深掘りしたいと思いました。起業という形ではなく、例えば大学で研究するとか、実家の余った部屋を使ってみるとか、色々考えていました。そんなとき、にたまたま会社のアイデア募集があり、自分の課題感を解決する方法として応募した形です。

西山:起業は楽しいですか?
井上:楽しいですね。特に、会社としてすることで初めて分かったことがあります。個人でやっていると、ここまでブラッシュアップする機会は少なく、市場や社会との繋がりも薄くなりがちです。でも会社としてやるためには、市場の動向やお客さんのニーズを理解し、取り組まなければなりません。それがうまくいっていると感じられるのが楽しいです。
八木:個人でお母さんをサポートしたいというインタビューコメントを拝見しましたが、法人化した方が面白かったですか?
井上:はい、そう思います。ただ法人化して大変なのは、会社として考えなければならないスケールや継続のことです。サービス内容には自信がありますが、現在の規模では会社としては全然足りない。個人なら十分ですが、会社としてやっていくためにはもっと多くの人に届ける必要があります。マーケティングが課題です。
八木:モチベーションの源泉は何ですか?
井上:お客様と話して満足してもらえていると感じ、変わっていく姿を見るのが楽しいです。例えば、スタンドアップパドルボードを体験して「久しぶりに自分の時間を楽しめた」と喜んでくれるお客様や、料理が苦手だった旦那さんが「家では朝食を全部自分が作るようになりました」との話を聞くと、本当にやっていて良かったと思います。
西山:今後の抱負を教えてください。
井上:とにかく多くの人に体験してほしいので、拠点の数を増やしていきたいです。拠点が増えれば、それだけ地域の人も子育てに目を向けるきっかけになりますし、町全体が赤ちゃん連れにウェルカムな雰囲気になりますから。
西山:応援しています。本日はありがとうございました!
取材を終えて
日本では約68%の親が子育てしにくいと感じていて(ベネッセ調べ)、産後1年以内のメンタル不調は男性11.0%、女性10.8%と産後うつは社会問題です(国立成育医療研究センター)。2022年の法改正で男性が子どもの誕生直後8週間以内に最大4週間の出生時育児休業が取得できるようになったことも追い風とのこと。起業自体には全く興味がなかったという代表の井上氏のきっかけとなった「かんでん起業チャレンジ」は20年以上の歴史があり、これまでに約10件が事業化。アクセラの期間も1年近くサポートがあり、大企業ならではの手厚さと起業への期待を感じました。同じワーキングマザーとして、ライフイベントの課題感から社内で挑戦を始めて起業へとつなげた井上さんにエールを送りたいと思います。
(ライター八木)
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